耐えられない日常の重さ

存在の重みに気を取られているヒマなど無く。
間違いなく今年一年が人生の転機だな、私はそんなもの信じたくないが、手の平の運命線の分かれ目がまさに今年であるのだと思う。
今小説の「大聖堂」を読んでいるが、凄まじく面白い。山崎豊子に劣らぬ人間の欲望が、中世という舞台を借りて、より象徴的に描かれている。Dainさんの去年のスゴ本十傑という煽り文句は、煽り文句でさえなかった。読み応えもあり、やはりスゴい。
で、現在の自分の状況を考えると、小説に劣らぬ状況だ。巧妙に仕組まれた小説の伏線のように、複数の問題が一度にふりかかっている。事実は小説より何とやらである。それを思うと、小説を読んで楽しむのはおかしいのではないかと思い至る。
しかし変なことはないのだ。当人にすれば悲劇でしかないことをフィクションという名の下に喜劇に変えてしまうのが小説というものである。いや、フィクションでなくとも喜劇だ。どうせこの時期さえ過ぎ去ってしまえば、私にとって現在の苦境は喜劇と化すのだから。
ま、私が思うのは、本当に確信を持って人生の転機と言えるような事態が起こるとは思わなかったこと、だな。
大聖堂 (上) (ソフトバンク文庫)大聖堂 (中) (ソフトバンク文庫)大聖堂 (下) (ソフトバンク文庫)