「文明の衝突」の若者への分析の誤謬と正鵠

中東で民主化の波が起きている。
この連日の報道は実のところ、私には実感が湧かない。
6年ほど前、中央アジアにおいてカラー革命だったか、革命の連鎖というものがあって、そのときは中央公論を購読していたのもあって、大国のグレートゲームとしての地政学的興味をそそった。
過去と現在とでは、国際情勢に対する興味の差というものがあるかもしれないが、それにしても実感がない。


今日、ちょうど「朝まで生テレビ」の放送日で、今もまだ現在進行形で放送中のはずだが、番組の冒頭でこんな分析があって首をかしげた。


「中東における民主化デモの連鎖反応の原因として、デモの参加者の年齢が60%以上が若年層で固められている点が大きく影響している」


中東における若年齢層の割合の多さというものには、おそらく多くの学者が注目しているのだろう。
過去に読んだサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」では、中東におけるナショナリズムの高まりの要因として、若年齢層の増加を挙げていた。
若年齢層が多いから、ナショナリズムのような熱狂的な運動に情熱が向かいやすく、その結果、中東と異なる文明との摩擦が増大する―、というのが「文明の衝突」論の根拠の大部を占めるものと記憶している。
当時の私にとっては、「文明の衝突」論はその予見性がイラク戦争などによって立証された有名な理論であるにも拘わらず、その論拠が若者の多さという曖昧な点だけによっていることに少なからず衝撃を受けたものだ(今でも若者が多いから云々という理由付けは社会心理学者の杜撰なこじつけと変わらないようにも思う)。


だが、もし仮に文明の衝突論が根拠も含めてその通りであったとすれば、今回の中東情勢の変化は、文明の衝突論の誤謬を指摘するものとなるのではないだろうか。
すなわち、文明の衝突論においては若年層の熱狂はナショナリズム国家主義)となって、他国に向けられるとあった。それが、今回の事例では全く逆に、熱狂が自国の政府に向けられたのであるから、この点で熱狂の向かう方向を正しく予見できなかったということになろう。
この点で文明の衝突論は誤謬を犯している。


しかし一方で、中東情勢の先行きを併せて考えれば、全く逆の事実が見えてくる。
つまり、各国における民主化を要求する波が現政府を打倒した後にどうなるかを考えてみればいい。
今までの政府当事者が国際社会の関係の上で「現状維持勢力」であった以上、これが変わることによって、国際関係の不安定化を促進することになりかねないのである。
詳しくはエジプト情勢のなりゆきを考えてみればいい。ムバラク大統領は中東におけるアメリカとイスラエルの良き理解者であって調停者であった。
それが今回の政変によってもしかするとムスリム同胞団の台頭を許してしまいかねない。
米国は関与に細心の注意を払い、軍部の臨時全権掌握時の国際関係の変更なしとの宣言に胸をなで下ろしていることだと思うが、今後予定される次の大統領を選ぶ選挙と、それに合わせるように政党化の準備を進めているムスリム同胞団の動きを見るに、米国はおそらく気が気でない。


少なくとも、エジプトにおけるこのような顛末を見ると、文明の衝突論が結果として正鵠を得ていることが分かる。
やはり若年層の増加による正常の不安定化はともすれば、嫌欧米勢力の新たな勃興を許しかねない。
今回問題となっているリビアにしても、カダフィ大佐は欧米と一定の距離を保ちつつも、一方的な敵対勢力に回らないような態度を取ってきているわけであるから、次の政権がどうなるかの見通しの中では、否定的な予測が多くを占めることになるかも知れない。


ともあれ、私としては、実のところ、別な関心が大きい。
つまりは、東欧〜中央アジア連鎖革命の時と同様に、各大国の地下組織、NGOがどう動いているか。
今回のエジプト政変では、グーグル幹部が大きく注目されたが、彼は果たして米国らの意向を汲んでいる勢力なのだろうか。
さしずめ野次馬の興味に過ぎないかもしれないが、この政変の連鎖が一段落したときに、どのような陰謀の痕跡が明らかとなるか、そのあたりに国際政治の暗闘の醍醐味を見いだしたいのである。