哲学とか

たまに少し書いたりしてるが、実を言うと結構苦手かも。私はどちらかと言うと理系(数学)的センスの欠けている人間なので、論理的連関を掴むのに結構ヒマがかかる。哲学者の書いた本などに手を出すこともあるが、気移りしやすいタイプなので、最後まで読み進めることが多くの場合できない。そもそも私は遅読だしなぁ。というか、私が遅読である理由の一つというのは、レトリックやセンテンスを類型化していくことをあまりしない所為だと思う。だから、強引な暗記とかも苦手。でも、暗記というと、昔は静止画を切り取るように像で記憶ができたものだが。そこは茂木健一郎さんの説によると、脳が記憶を整理する機能が発達したゆえに失われてしまったのか。ま、それなら仕方ない。うーん、いろいろと話が変わってきた。哲学か。私は抽象を抽象のままこね回すのが好き。哲学徒として一番ダメなタイプと言われそうだ。うーん…。でも。何となく日常で気になっているメタ的なものがいくつかある。それを解きたいという知的好奇心が私を哲学に向かわせる。しかし、本当に知的好奇心だけなのか?知的好奇心というのは、知の自己対象化である。これがほぼ当たり前のように真とされている事情も、変だと思う。で、話は変わるが、何かを学びたい(≠知的好奇心)と思う気持ちは、一つには若さだと思う。様々な事柄が未定である故の。しかし、年を取ればそうはいかないであろうし、それは様々な事項が決定されてきたことによる変容である。
む、何が何かよく分からなくなってきたか。私の日常の思考というのは、このような、至極取り留めのないものである。