ケータイは私にも分からない

404 Blog Not Found:書評 - モバゲータウンがすごい理由
ま、この年齢でケータイ持ってないのも私くらいでしょ、という自嘲を込めつつ。
たしかにウェブという世界概念にケータイを含めるというのは重要な考え方である。先日読んだ鈴木謙介「ウェブ社会の思想」ではケータイメディアがもたらす意義も比較的しっかりと取り上げてあって良い感じだった。
パソコンを使ってスカイプなどのP2Pのチャットを楽しむことと、ケータイでメールをやりとりすることは、基本的に文字のやりとりという点で何ら変わりない。ウェブと言うことを論じる場合に、往々にしてそこからケータイが捨象されてしまうのは何故なのか。
それはおそらく、私がケータイを持たない理由の一つとも重なってくるのだが、コミュニケーション先の閉鎖性であろう。ウェブ世界は基本的に顔の見えない相手と繋がっているが、その中でとりわけケータイメディアは多くの場合「知人」を対象としている。メール機能もウェブと言うが、その本質はウェブが登場する以前からあった携帯電話の電話機能の延長として捉えられることが多いからなのではないか。電話の音声コミュニケーションを、メールは文字に移し替えたに過ぎない。だから、これをウェブとしていいものかどうかは実際のところ微妙だ。
ただ、現在はケータイにもPCと同じサイト閲覧機能が実装されるようになってきて、PCでつながるウェブがそのままケータイに裾野が広がりそうだと言うことである。幸い、ウェブ2.0現象はコミュニケーションの集団分極化をもたらしたので、ケータイというツールの重要度は上がった。それだけは言っておいて間違いないだろう。
ちなみに、以前の私の予想では、家庭用PCの娯楽としての機能はほとんどがケータイに移るのではないかと思っていた。現在はそうでもないと思っているが、ケータイという小さなツールに実装される機能は、技術の日進月歩にしたがって、恐るべきものがある。近い将来、一般的娯楽としてのPCは家庭から消滅するのではないか。そんな風に思っていた。