ルサンチマンに対する力

ルサンチマンをかわす手段は確かにあるが、対抗するにはルサンチマンでもってするしかない。目には目を、の原則である。で、怨恨に怨恨でもってするというのは報復の連鎖構造に似たものがあるが、まさしくそうだ。報復連鎖は嫌だという平和論者なら、相手の怨恨を封じ込めるくらいの力が必要になる。
それでも、ルサンチマンで対するのは嫌だというなら、世の中を渡るのは難しくなる。他者の怨恨を飄々とかわしながら生きられる人というのは、生まれつきの才能のようなものを持っている。それがなければ他者のルサンチマンに抗しうる力を持つしかない。それが、世に経りた、ということなのだろう。
本当に世の中は生きにくい。「草枕」の非人情の境地に逃げ込みたくなるのも分かる。だが、結局たいていの人間は非人情では生きられないようになっている。