新聞をどのように活かすか・中高生編

多分これは世間一般でも同じことだろうが、中学とか高校の先生は、よく新聞を読みなさいと言う。それは現代文などの背景コンテクストを読み解く上で、新聞などで語られる時事の知識がメタ的に還元されてくるからなのであろうし、悪いとは思わない。ま、新聞を読まない若者なんて世の中にゴマンといることだろう。私もあまり新聞は読んでこなかったし、今も読む習慣はない。だが、お利口な優等生君たちは、先生の言うことを真だと信じ、成績が上がるという結果に期待を寄せて、新聞を読む。それは確かに良いことなのだが、彼らが利口であればあるほど、新聞の内容を真だと信じるようになる。今時、新聞に何の世論形成効果があるんだという反論もあるだろうが、テレビニュースと連動する新聞ニュースというのは、依然として強い世論誘導効果を持っている。私が危惧するのは、利口な彼らが学校の先生の呼びかけに従うことで、新聞の内容を鵜呑みにし、メディアのいいように操られる人間が現れることだ。要するに、先生が新聞を読めと薦めるのは、メディアリテラシーの育成に良い影響をもたらさないということである。そこで私が思うのは、新聞の知識はあくまでも、その後に自己内で積み重ねていく見識の叩き台にすべきだということを学校の先生は教えるべきだということである。具体的には、「新聞社説を批判しなさい」という格率が妥当だろうか。新聞を読め、しかし読むのは方法論としてであって、目的は自己の見識を形成することにある、読んだ次には社説などに対する疑問点を提示し批判せよ、と。現代の先生というものは、手段を教えこそすれ、目的は何たるかということを教えようとしない。かくして若者は多様性に対応した社会の受け皿に没する。ま、半分戯言なので気にしなくていいが。
要するに、これは一つのリテラシー論である。ただ、リテラシー論というものはリテラシーのためのリテラシー論なのであって、それ以上に意味はない。リテラシー論が何たるか知りたい方、探求する方、その他諸々は、反社会学の祖であるパオロ・マッツァリーノ師の著書「つっこみ力」をお読みなさるがよろしい。軽く読めるので、買わずに図書館利用を推奨。ま、新聞を読めと言う先生は、読むことがまさしくリテラシー形成に繋がるとか思ってたら、アホらしい、ということでその更に一歩上を行くリテラシー論です。新聞社説を批判する方が話のタネにもなるし、楽しいと思うよ!

つっこみ力 (ちくま新書 645)

つっこみ力 (ちくま新書 645)