昨日の補足

ま、例によって補足説明しないと気が済まない私である。
端的に言うが、国家と国家の狭間とは、アナーキー状態を露骨に指していない。露骨に、と表現するのは、あるいはそうかもしれないからであるのだが。ま、これは簡単な話、新体制を樹立するときの理想に燃えた状態である。ここは昨日にも説明してるので、補足としては蛇足のような気もする。
で、そうした理想が体制発足時期にしか効力を発揮しないというのは、国家を樹立する行為と矛盾している。だが、そうした矛盾が真なのであると、一つには承知しなければならないだろう。よく言われているように、国家とか体制とかには一定期間ごとのスクラップ&ビルトが必要である。それは政権に改革と安定との二種類があるようなものである。このような定期的な自浄作用が働かないと、動乱とかが起こって物理的に作り替えなければならなくなるのだし、それにはコストも大きい。願わくば、定期的な自浄作用というものがメタ的に設定できたらいいのだが。例えば、車検みたいに。
メタ次元でもそれが定型化すると同じくマンネリするのではないかという問いもあるだろうが、これは世代性の問題でほぼ可能性は消える。所詮、マンネリが人の一生の間で起こらないように見せればいいだけのことである。実は、これを裏返すと、「歴史は繰り返す」という命題になり、戦争などの惨禍も繰り返されるのだ、という無下な結論になるのだが。完全な平和主義への道というのは、あたりまえながら程遠い。現実的には急進的な行動を取らずとも、やはり長期的にはそのような理想ができないかということになるのだが、そうした思考実験でさえも非常に難しい。