民主主義の価値とは

 さて日本とのそんな特殊な遭遇のあったガルブレイス氏にそれから47年後に日本の憲法の改正の是非を質問してみたのだった。

 同氏はツルのような長身の痩躯をやや前かがみにして答えた。「憲法改正の是非論は実は近年、日本を訪れるたびに、見解を求められる。わたし自身の見解ははっきりしている。日本はいまの憲法を絶対にそのまま保つべきだ。日本がもし憲法を改正しようとすれば、東アジア、西太平洋地域にはたいへんな動揺や不安定が生じるだろう」。

 この言葉はわたしには日本不信を感じさせた。なぜなら日本が民主主義国として米国との同盟を保つことを前提に、憲法を改正するならば、理論的にはどの国にも脅威とはならないことが明白だったからだ。だがガルブレイス氏の改憲反対論はその前提を認めていないのに等しかった。この種の反対論は「日本が改憲をすると軍国主義にもどる」という懸念をもにじませていた。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/49/index.html

別に日本不信を感じることでもないかと。日本の憲法についてアメリカがどうかと聞かれたところで、アメリカの立場からすると余計な動きがない方が好ましいのは当然ごもっとも。アメリカ=世界の番人という文脈で読めば、どのように憲法改正してもお隣さんたちは怒り出すのだから、おとなしくしていてね日本君っていう程度でしょ。それを日本の民主主義に対する評価の問題に転じるのは、強引だとまではいかないが、もう少し慎重に論証した方が無難でしょう。
この辺を踏み台にして、私としてはこの引用箇所に更に反論を加えたい。というのは、日本が民主主義国であることを理由に憲法改正の脅威はないと断じるのはこれまた短絡論理であるからだ。これと類似した論理としては、戦前ドイツでマックス・ヴェーバーらが唱えた民主主義国は独裁国家とはならないというテーゼがある。

ウェーバーは、イギリスをモデルとしながら、議会が官僚を統制することのできる「指導者」養成期間に変貌すべきことを説いた。(中略)ウェーバーは、自由な人民の選挙を通して承認されるカリスマ性であれば、民主主義と矛盾しないと考えた。

仲正昌樹「日本とドイツ 二つの全体主義」p135-136

こうした論理自体に危険性があると断ずるわけではないが、その後ナチスが民主的プロセスを踏んだ上で台頭した事実を見れば、上記の論理に欠陥があったことは明白である。これと同様に、日本が民主主義国であるから憲法改正はどの国にも脅威とはならない、という論理は完全ではない。しかも、古森氏は次の一文でこの論理を前提としているあたりを見ると、やはり強引な誤謬論理であると言わざるを得ない。
古森氏のこの文章に限らず、世間では憲法改正に関しての論議が盛んだが、私はぐうたら保守派なので解釈改憲でいいんじゃないという程度の意見しかない。この問題に関しては、宮崎哲弥氏までが自著の中で憲法改正賛成を唱えているが、私としては窮迫した問題であるようには思えないので、一連の問題に対する私の見方にはやや冷めたものがある。じゃ憲法のどこの条文に問題があるか、という話については、憲法全く知らない私はスルーの方向で。