休刊日

キュウリはcucumber。
昨日がものすごく精神的に過負荷っぽかったので、今日の昼間は色々と考えて苦しんだ。そのうちどこかへ放浪しようかと思い始めたのだが、その後周囲と話していると若干気が楽になった。
これは私が孤独だということだろうか。今朝の私は孤独を欲していたのに。ま、私は孤独に常駐できるほど強い人間ではないのだろう。人間の間でしか結局生きられない辛さというか何というか。
私が自分をどう表現するように意識付けているかというと、「人間臭さ」を出そうと考えるときが多い。人間臭さというのは一種のルサンチマンなんだろうと思う。ルサンチマンが重なり織りなし、それが人間の情や連帯にも繋がっているのだろう。
時折、そこから抜け出したくなることはある。しかし、永久的に抜け出すことはできないし、所詮私はそのようなものだと思っている。放浪癖も無いではないが、抜け出そうとするときは、放浪することさえ億劫になって引き籠もる方かもしれない。
そういえば最近は自然の景色を意識することが少ないような気がする。明日はどこかへ出かけようか。
それに、もうすぐ夏だ。夏は花火をしてあげたいかなと思う。夏は休みで倦怠至極が例年のパターンだが、花火はそこから遊離した何かを与えてくれるような気がする。とは言っても、ここ数年は花火をしていないからなぁ。
花火が誘うのは夢の世界。それは他人と私がいて、ルサンチマンが排除された世界への渇望のようにも思われる。