外交の軸とは何か

今日も若干本質的と言えるエントリが続く。もちっと雑多な内容の方が読みやすいのではないかなとも思うが、思想の下書きとしては良いかなと思う。
安倍政権が過日の参院選で大敗した。結局、安倍首相は続投の方針を採ったようだ。このまま憲法改正にこぎ着けるまでは辞めたくないという意思表明だろうか。私は憲法改正などには興味がなく、安倍首相の政治思想に肯定的ではないが、続投という判断自体は評価したい。

最近、頻繁に聞かれるようになったのは、参議院選挙は「政権選択」の選挙ではないという発言である。
「故に安倍総理は選挙の結果はどうであれ辞める必要はない」という論理である。
雪斎は、確かに、「総理は参議院選議員選挙の結果はどうであれ辞める必要はない」と思う。
そういうことをしていれば、総理は、大体、二年で交代しなければならなくなる。
それは、対外関係の上では、誠に大きな損失を意味している。

最後の三日間: 雪斎の随想録

これは対外関係ではもちろんの話だが、私としてはむしろ一貫した政策の効果が現れるまで執政をやり続けることが良いのではないかと思う。現在の安倍政権が直面している格差などの問題は小泉政権期の内政の影響だと言われるが、それだけ小泉政権が長期にわたって一つの方向性を示したからこそ、その一つの方向性に対する本質的な検討の余地が現れたと見ることもできるだろう。日本は短命政権だから、どの方向にも行かず繰り返し微調整できるというビル・エモット的な意見もあるだろうが、この議論については措いておく。
ともあれ、今回の参院選での敗北は対外政策に変更をもたらすことともなりそうだ。小沢氏がテロ特措法の延長に反対していることで問題になっているが、かんべえさんは次のように書いている。

〇かんべえは自他ともに認める親米派の一人でありますが、「この際、テロ特は“見切り千両”じゃないか」と考えるものであります。要するに、法案延長なんぞあきらめてしまえ、その方が安倍政権にとってはトクになる、と思うのです。

〇インド洋上における対米協力は、もう5年以上続いている。そうなると、先方の感謝の気持ちもじょじょに低減していく。他方、現状維持を自己目的化してしまうのは日本の組織にありがちな習慣であって、そのうち「止めるに止められない」ことになる怖れがある。イラクからの陸上自衛隊撤退と同様に、物事には「止められるときに、止めた方がいい」ことだってある。この際、止めてみて、別の対米協力の方策を考えることにしたらどうだろう。

〇幸いなことに、今、止めても対米関係には大きな影響がない。なんとなれば、米国側は何はともあれ安倍政権の継続を希望している。当たり前だよね、豪州のハワード政権と並んで、世界で唯二の親米指導者なんだから。安倍政権の代わりに誕生する日本の内閣がどんなものであれ、今以上に親米ということはあり得ない。そうなってしまうと、「ブレアに次いで安倍までも」ということになり、ブッシュ大統領のみならず、アメリカ全体にとってイヤーな気分が漂うことになる。メルケルサルコジが、前任者よりはマシになったところだけに、それはちょっと痛い。

〇しかもアメリカ側は、タイミングの悪いことに、「対北朝鮮外交」と「慰安婦問題」の2方面から安倍政権にダメージを与えてしまっている。参院選が終わるまで待っててくれたみたいだけど、そこは後ろめたいところがある。ここで安倍さんが、「野党の反対が強いので、状況お察しください」と言い出せば、先方はとても文句は言えないはずである。その上で、「その代わり、年末に控えているHost Nation Supportの更新はキッチリやりますから」とでも言えば、日米関係は安泰でありましょう。

〇テロ特をあきらめてしまえば、民主党との争点がとりあえずひとつ消える。その上で、「小沢民主党は無責任だ」式の批判もできる。なかなかいい手ではないかと思うのです。もっとも、こんな風に同盟関係を政争に使うことは、安倍さん自身が良しとしないでしょう。その辺は真面目な人ですから。ただし、「テロ特延長」のために多くのものを犠牲にする必要はないと思います。その辺は柔軟に構えても、よろしいんじゃないでしょうか。だって、誰が見たって安倍さんは「ツーストライク・ノーボール」状態なのですから。

コスト的にテロ特措法は延長しないと決めた方が良いとかんべえさんは断じている。たしかにそうだと思う。ただ、むしろ私が興味を持つのは、そもそも外交政策の取り方としてこうしたやり方はアリなのではないかという点である。
はっきり言うと、外交政策というのは所詮国内問題の延長に過ぎず、国内問題の如何によって対外姿勢というものは変化するものなのである。現にアメリカなどは選挙の趨勢によって対外政策の色を徐々に変化させているし、あるいは次回の大統領選で共和党の敗北となってしまうと、アメリカの対外姿勢は大きく変化することになる。
日本としても、次の衆院選自民党が負けてしまうと政権を安定して維持できなくなるのだから、という言い訳をもってすれば対外政策を変化させる余地が十分にあるのではないか。
かんべえさんは「現状維持を自己目的化してしまうのは日本の組織にありがちな習慣」と述べているが、これは日本人あるいは日本社会が空気を読まなければいけない同調圧力の作用するコミュニティであることとも似ているような気がする。つまり、対外政策を変更すれば、他国に見放されてしまうから、対外政策を変化させることは命取りなのではないか、と。
安倍政権の政策を見ていると、まさしくこの懸念を的中させているように思える。先に北朝鮮外交で名声を上げて首相になった安倍首相は、まず外交政策での手腕をウリにした。しかし、国内問題に関して言うと、安倍政権の政策は小泉色を引きずっているところが多いのに、政策自体が日和見的で中途半端になってしまい、民衆の支持を獲得できていない。
この点、安倍首相の祖父にあたる岸信介も似たような人物であった。イデオロギー色を帯びた政策を前面に打ち出し、肝心の内政問題は主要問題ではないとする。共に憲法改正という、それが決定したからと言って国民に一銭の利益ともならないような政策を掲げていることがその証左である。
「衣食足りて礼節を知る」と言う。対外政策は礼節に過ぎないのであって、まずは衣食即ち内政を充実せしめよと。この考えは非常に重要である。対外関係というものは、どうしても踏み外すべきでないライン(例えば日米同盟という基軸)は存在するが、それ以上の部分では態度を変えることに問題はない。他国が不満の声を漏らしても、一言、国内で問題があるのだからと言えば済むことであろう。それ以上に他国が口を差し挟むのは明らかな内政干渉であって、それは不可能である。
以上論じたように、日本の対外政策には安易な「同調」ではなく、自らの地歩を固めた上での「協調」という姿勢があって然るべきだと考える。