何か書きたいのだけど

時間がない時間がない時間がない。
でも、何というか短信までに書いておきたいので書いておく。

逃げ道を作ること

最近難しいなと思うことの一つがこれなのだが、要するに、会話では相手の発言に矛盾とか不備があっても、過度に突っつきすぎてはいけないということだ。
私は長年の議論の癖が抜けないのか、どうもこの間合いを計りかねる。
まぁたわいもない会話でそこまで追いつめたりするわけでもないが、少し議論めいたものだと、極限までロジカルな方向を追求してしまうので、相手を論破するところまでいってしまう。むしろ、いかないと気が済まない。
論破したからと言って、私は相手を憎んでいるわけでも何でもなく、ただ俎上の議論に手を加えただけという印象なのだが、それは日本の風土にはマッチしないようだ。
日本の風土は、議論とそれを発する論者とを一括りのものとして見てしまう。
だからこそ、論破したときに相手は自らの人格まで否定されたような気分になる。
こうした点にはドライでありたいと思うのだが、難しいようだ。
ただ、私の観点からすると、議論が終わった後に双方が議論の内容を評価し合い、握手の一つでも交わせば爽やかな気分になると思うのだが、どうも日本の風土ではそれ以前の問題に終始してしまうようだ。

あばた?

少し前にテレビを見ていてへぇという感じだったのだが、ケータイビジネスが好調らしい。
中心はCMでもよく見るモバゲータウン
中の通貨に変換して遊ぶシステムであることは前々から知っていたのだが、何が目的かという点が全く知らず、それがアバターだと聞いて驚いたわけである。
アバターというのは、仮想空間上に自分の分身として作り出すキャラクターのことである。
このアバターを、現実の通貨を変換して服を購入したりしてオシャレにしようとするユーザーが多数おり、それが収益の構造になっているという。
私が驚いた理由というのが、アバターが日本でここまで普及していたのかという点である。
どこで見た話だったか、アバターというのは韓国ネットビジネスでは流行っているが、日本では全く流行る兆しがない、という記事をたしかに見たのである。
だから、日本でアバターが普及していると聞いて、それは今までの日本と何か違うのだと感じた。
ま、それは端的に言えば、PCネット世代とケータイ世代(「層」と言った方がいいかもしれない)の価値観の断絶なのであろう。
普段ならこのあたりでチャンチャンとオチがついて終わり、なのだが、今日のところは先の問題点を提示しておこうと思う。
それは、PCではケータイに先んじてブログが普及していたりするのだが、ブログを通じて人々は「人格」を表現しているのではないかということ、そしてそれがアバターとどのように違ってくるのかということだ。


本日は駄文で申し訳ない。