論考のタネ

どうも、最近、様々なコミュニケーションがmixiに代表されるように実社会の投影が進み、同時にtwitterに代表されるように情報送信単位の断片化も進んでいるのだな、と思う。
それぞれに関して考えを煮詰めていく余地がある。

また、そもそも遠隔コミュニケーションが発達し、便利になったと言われる。つまりは、距離や金額などのコストが軽くなっていっているということを示すものである。だが、一方でコストの軽いコミュニケーションだから要求しやすいという逆説もあって、これが却って個人が行うコミュニケーションの対価(主に時間)において多大なコストを支払わされることにつながっているのではないか。
時代がそういうコミュニケーションを当たり前とし、そうでない状況がなくなってきているから比較すべくもないかもしれないが、そうした比較も興味深いだろうと思う。