テンプレで読む「日本の思想」

水曜日。今日も小論文の先生と小一時間話し込む。
論文のテーマについて少し話していたが、日本文化論みたいな話になって、西欧近代の個人主義は日本に適合するか云々の話に。ま、今になってみても日本はそうした西欧文化摂取を根本の部分においてできていないと思うのだが。この辺は「日本の思想」のテンプレが今尚生きているというところだろう。で、私は懐疑を抱くのだが、西欧個人主義に対応するような、日本における「個」の発想というものはあったのだろうかと。思うには、日本の場合単位を細分化したところで「個」までは行き着かず、最小単位として設定されるのは村落共同体程度が限界だったのではないかと。ま、一つには、西欧個人主義と同じ枠組みがきっと日本にも存在したはずだと考えるのは、構造の枠組みであり、日本独自の思想を探すならば、そこからは脱構築しなければならないのではないかという要請が動機付けになっているか。例によって上手くまとまらないが。この懐疑を先生もそれなりに受け止めたようだった。