没個性の技術

Passion For The Future: 「その他大勢」から一瞬で抜け出す技術 過小評価されているあなたを救うスピード・ブランディング
404 Blog Not Found:Q: 「その他大勢」に一瞬にしてとけ込む技術
「その他大勢」からいかに抜け出すか、ということを主題にされているわけだが、そもそもマジョリティから抜け出た人とはどんな人のことを指すのか。いくつか列挙してみる。

  • 集団のリーダー格
  • リーダーではないが、集団内で非凡な成績を挙げる人
  • 集団内で特別な役割を担っている人
  • どのようにしてもカテゴライズできない異分子

ま、大概はこれくらいなのではないだろうか。
私は初対面の人に会ったとき、ほぼ必ず自己紹介の最後に「ちょっと変人ですけど」などと付け加える。これは謙遜ではなく、一般ずれしたところがあるのであらかじめ承知しておいて欲しいという但し書きのようなものである。もしその場に友人が居合わせたならば、自分で言わなくても友人から同じことを言われるのである。そして実際、一通り話し終えた後には初対面の相手は「やっぱり変わってるね」などと言われるのが普通である。そういうこともあって、自分の中では決まり文句のようになっている。
ただ、初対面の人には極力私の個性は控えめにしているつもりである。それをいきなり前面に出すというのは、嫌われるかもしれないバクチのようなものだ。そういうわけで、話をしていて相手が興味を持つ場合にのみ、私の個性を表現していくようにしている。
少し話が関係ない方向に反れているように見えるが、「その他大勢から抜け出す」というのは、絶妙な節度を保ちながら行う必要があるということをここでは言いたい。

誰だって仕事を2,3年もしていれば、普通のプロになれる。業界内では「その他大勢」だが、場所を変えれば立派に専門家の顔を作れるわけだ。社内ではペーペーの営業マンであっても、社外のコミュニティや学生相手に「セールスのエキスパート」を名乗ってもおかしくない。

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確かにその通りだ。誰でも自分が得意としている分野は何かしら一つくらいはあって、それを一般の人々に見せるだけで専門家然としていられる。ただ、そこで重要なのは、その専門性をどう表現していくかということだ。その表現に当たっては、もちろん分かりやすく説明するなどのスキルが必要であるわけだが、分かりやすい説明とは何なのか。その一つの側面に、自分の専門性を一方的にアピールするのではなく、相手の理解能力に合わせて専門性を下げていくということがあると思う。つまるところ、相手に理解できなければ専門的であっても何ら価値を持たないと言うことだ。相手がその知識を使えるようになるまで専門性を”平凡化”してこそ、相手にとっての専門情報の価値が現れる。
「その他大勢」から抜け出したとしても、異端者として排斥されるようになってしまっては意味がない。専門性が相手の利益になることを示すことで、彼らプチ専門家たちは「先生」となれるのである。私はこの点について、まだまだ専門性を他の人々に分かりやすく説明するスキルを身につけるに至っていないし、そういうわけで専門性を語る相手を絞り込まざるを得なくなる。ただ、私がそうして専門性を伝えようとしてきたことで、私のように奇妙な人間でも友人は人並みにいるようになった。時折衝動に駆られて、フザケ半分で専門用語だらけの会話を仕掛けることもあるが、それは逆に私の専門性に対する興味を増しているようである。


ただ、私のように、自分の性格をそのまま出してしまうと突飛にしか思われないような人間は、専門性を出さない間、隠れ蓑に収まっている必要が出てくる。そこで重要なのが、「没個性の技術」であると思う。私が考える没個性の技術を特徴を以下に挙げる。

  • 愛想笑い
  • とりあえず質問してみる
  • 話が一段落するまでは黙る

これは一つには、相手と協調する技術と言い換えることもできるかもしれない。相手が自分と気が合う人間ではないな、と思った場合、このような手段でやり過ごすのである。このようなまったりした雰囲気の中で無闇に専門性を切り出すのは、和を乱す行為であると見なされてしまう場合もある。人間関係というものは、自己の抑制と発露との絶妙な緊張関係の上に築かれるものであるから、「没個性の技術」というのは非常に重要なキーとなってくるのである。