日本的政党対立の起源

今日は引用から。

日本は敗戦後、国家の根本原則を自らの手で決定しなかった。その事実がわれわれの政治から、原点、すなわち何人も認めざるをえない原則を不在にさせているのである。具体的に言えば、日本国憲法憲法に必要な権威を持っていないし、そのために与野党は基本原則について、お互いに強い不信感を持つことになっているのである。この場合、私は日本国憲法が多数の支持を得なかったということを言っているのではない。それは妥当な憲法で、多数の支持を得た。しかし、それは極端な反対派を撃破して作られたものではなかった。極端な反対派は占領軍によって黙らされていた。
もっとも、憲法というものは、完全な発言の自由の下に作られたことはかつてなかった。それは神から与えられるか、欽定憲法であるか、それとも革命後に作られ、自由な議論はあまりおこなわれなかった。幾何において公理が証明不能であるように、政治においても、根本原理は選択の問題で、討論の対象とはならない。そして、このことから政治における暴力の問題が現れるのである。
(中略)
すべての憲法は、反対派を鎮圧して作られた。そして不思議なことに、暴力による鎮圧が憲法に権威を与えることになったのである。しかしこの事実故に、誰が反対派を鎮圧したかが決定的な重要性を持ってくるのだ。日本国憲法が反対派を沈黙させて作られたのは異常ではない。しかし、沈黙させたのが日本人ではなくて占領軍であったことは、まったく異常なことであったのである。そのため、憲法には権威が与えられなかった。
しかも、この戦後の政治体制の改革は、それを与党がサボタージュしようとし、野党がそれを歓迎し、そして占領軍の圧力のなかでおこなわれた。やがて、憲法によって統治する与党は、「押しつけ論」を展開して憲法の権威を疑った。これに対して、社会党を初めとする野党は、与党の「復古的」傾向を警戒し、民主主義は現実に存在するものというよりはこれから達成されるべき課題と考えた。こうして、現存する制度を運営している政党がその実情と原則について、それぞれ異なる見解を持つようになったのである。同じ民主主義という言葉を語っていても、自民党はその機構的側面を、社会党はその精神を強調するという状況が生まれた。こうして歴史的理由から生まれた相違は、両党の考え方と関連し、それによって強められている。

高坂正堯「宰相 吉田茂」所収「妥協的諸提案」p208-p209

現在に至っても憲法改正論議と、それに伴う与野党の激しいイデオロギー対立がある。昔隆盛を誇った社会党は見る影もなく、それに代わって現れた民主党社会党に比べれば自民党とのイデオロギー対立は少ないけれども、”与野党”という枠組みにおいてそうした応酬は続けられている。
安倍政権は憲法改正というイデオロギー的問題を持ち出した。とは言っても、今までの成果としては現実的な方向性を維持しているが、イデオロギー的問題を提起することは、現在の国民にとってどうでもいいことなのである。対外政策についてもそうで、外交本位の外交などは一般的には評価されない。普通の国民にとって、政治は自らの生活が潤うために行動すべきだと考えているし、一銭のゼニにもならないような外交政策などは、何よりも優先度の低いものなのである。逆に、国民が期待するのは自らの生活に影響のある内政政策である。こうした関心の裏面として利権誘導型政治は成り立ったのだし、この力は恐るべきものがある。


さて、次の引用。

ところが、この進化を実現させてきたのは新聞が批判すべき政府であり、同じように強い力を持つ実業家たちであった。その限りにおいてパワーエリートは是認さるべきことをおこなって来たのである。したがって、いかに強い言葉で政府を批判しても、その批判には限度が生まれることになった。もちろん、社会の変化には必ず犠牲者をともなうから、新聞はその問題を取り上げることはできる。しかし、その変化の存在理由を求めることも、まして、それに反対することも容易ではなかった。したがって新聞は、詠嘆することはできても、有効な批判をおこなうことはできなかったのである。
たとえば、オリンピックのための道路造りを例にとろう。そのために、東京のなかで少しではあるが残っていた江戸の面影は、ほぼ完全になくなった。そのことを、新聞や週刊誌は取り上げたけれども、その調子は抗しえない進化の神の所業に対する詠嘆というようなものであった。進化に代るべき可能性は示唆されなかったのである。
こうして新聞は弱い民衆の声を伝えることを自負してきた。しかし、それは世論についての哲学の欠如の故に、民衆の持つ力を引き出すことができなかったのである。すなわち、それは憤慨し、嘆くことはできても、何かあることを有効におこなうことはできなかった。

高坂正堯「宰相 吉田茂」所収「妥協的諸提案」p232-p233

こうした大衆についての言及は、トクヴィルのデモクラシー論と関わりがありそうか。日本の場合は新聞が大きなメディアになりすぎてしまったという特殊な仕組みがあって、複雑な構図になっていそうである。


頭が回らないなぁ、夜更かしした所為か。ま、引用主体なのでこの程度に。