白い恋人ねぇ

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070814i415.htm
やはり白い恋人の売れ行きが一番重大な事態になってくるのだろう。
北海道土産と言えば、毎回白い恋人は欠かさなかったし、あれは確かに名菓だ。
でも、個人的には六花亭のバターサンドの方が好きだな。あれは賞味期限が長くないので気をつけなければいけないが。
一度、そのバターサンドを他の人が土産で買ってきてくれたのだが、夏の熱波でどろどろにやられてしまってて、賞味期限も結構ギリギリの代物だったけど、二個三個は食べていたな。いや、食感がおかしかっただけで、後は普通に食べれましたよ。腹をこわすかとも思ったが、何ともなく。
食品衛生上の問題というのは結構持ち上がるが、中国野菜の残留農薬を除けば、それほど大きな問題でもないように感じる。
そりゃ、大腸菌類云々とかはどうにかしないといけないけど、それで騒ぎ立てる世論が云々とか、言い返す方もテンプレでよろしくないか。


要するに賞味期限切れをどうするかということなのだけど、この辺に対する考え方が現代の最も象徴的な部分だと思う。
厳密に言うと、賞味期限というのは「美味しく食べれる期限」のことで、過ぎても大して問題ではない。が、牛乳など腐りやすいのは消費期限とついていて、これが食品の安全云々に関わってくる。
私は何気なくそういう期限を見てしまって気になる方なので、牛乳の期限とかが切れてると、いろいろ文句を付けたりするのだが、母によると、期限が切れてても牛乳の味を見て臭くなってなければ飲みなさい、と言う。
それでも私は若干の反発を感じていたが、まぁこれは至極もっともなことであると思う。品質の判断くらい人間がつけなきゃどうするのかと。


本来はそうやって人間が品質を吟味していたものが、もっと大きな生産システムによって管理がなされ、人間の手から離れる。システムの管理に不具合が起これば、人々はそれを戦々恐々として非難する。
結局、「食」が実は人間の手から離れてシステム的に外部に仮託されている。というのが、現代の抱える問題の最も象徴的な部分であるのだと思う。
賞味期限をしきりに神の啓示のように崇めたてまつって今回の事件を強く非難する人は、コンビニやスーパーで期限切れになって毎日大量に廃棄される食品をどのように思うだろうか。
多分、何とも思わないのだろう。なぜなら、それが「食」が外部仮託された状態の、当然の形なのだから。
大量の残飯を見て世界の貧困とか飢餓に苦しむ途上国が云々とかを言いたいわけではない。
「食」が私たちの手元から去ってしまったのを当然のことと思い、しかも私たちの手元に帰ってこないように神経質になっている状態、これが問題だと言いたいのである。


最近は食育という言葉がよく取りざたされていて、私は食育の内部がどのようになっているのかをよく知らないけれども、自分が食べるということの根本の意味を理解した教育であるのだろうか。
この点について徹底的に食育するならば、期限切れの牛乳を飲ませてみればいい。所詮腹をこわす程度で済むのだし、大したことではない。
私たちはもはや、そうして腹をこわすという身体的関与を抜きにして、「食」を取り戻すことはできないのである。
こうした時代を端的に象徴しているのが、「消費者」という言葉であるのだろう。