ひさびさ

12月から日記を書かなくなってはや3ヶ月経つ。
この間にいろいろなことがあった。
最も大きなことは、一年浪人してやっと合格できたことだろうし、ここには何か成し遂げた達成感と、やっとかという疲労感に似たようなものがある。
この3ヶ月の間に起こったことに限定して言えば、こっそり日記を書き始めたし、PCを再インストールするはめになったので、忙しい時期に面倒なことが重なったかもしれない。
ネットについて言うと、完全にネットから遮断した生活を送っていたわけではないが、ブログ巡回は少し依然とスタイルが変わった。
他にもいろいろ変わった・・・と思うのだが、一区切り付いて思うのは、周囲の環境や境遇は変化しているけれども、私は何一つ変化していない。
そりゃ少しずつ考え方は変化しているだろうし、これを区切りに変化してしまおうという変身願望のようなものがあるかもしれない。
しかし、どうにもこうにも長年染みついてきた習慣、人格、思考法は全く変化がない。これだけは全く実感できることなのである。
そこで思うのは、私は変われるのだろうかということだ。
当然、人生の区切りを迎えて、何か変えよう、今まで惰性で続いてきたかもしれないことを能動的積極的に、というのはある。
だが、そうして考える基盤が自分自身であることに気づくとき、自分は未来永劫変わらない”何か”であるのかもしれない。
そこには言い知れない恐怖のようなものがあり、それを追ってくる諦念がある。
もちろん、そうした基盤の段階を超えて変化しようとするべき、なのかもしれない。
が、そこへ行くと自分が何か得体の知れない者に変化してしまうのではないかという懸念に対する保守的精神が働く。
自己変革とは、絶えざる自己の中の保守と革新の闘争の歴史なのかもしれない。
私は何か変われるだろうか。いやむしろ、自分の中に歴史を刻めるだろうか。